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菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズにご出演の巻なり


『菊地成孔コンサート2008』スペシャルトーク <菊地成孔のナイト・ダイアローグ・ウィズ(NIGHT DIALOGUE WITH)> > 【第一夜】2008年11月 9日(日) 17:30開場 18:00開始~19:00終了予定 > 「女は夜遊びの時、何に金を払っているのか?」 > ゲスト:湯山玲子(クリエイティヴ・ディレクター) > 会場: Bunkamuraオーチャードホール・ビュッフェ ↑というトーク・イベントに、昨年に引き続き出演いたしました。  菊地さんとは、けっこうトークを重ねているんだけど、今回ほど時間あたりの情報量が多いことはなかったよーな気がします。まあ、二人ともまず、相手の質問の意図に正確に答える、というよりも、その問いの中の名詞に反応して、全く違う話題を振り替えし、話がどんどん転がっていく。

 でも、これってガールズ・トークの典型スタイルで、「デスプルーフインザグラインドハウス」でタランティーノが活写したあの「だらだらしゃべり」の醍醐味といえましょう。菊地成孔がこの女フィールドでやすやすトークバトルできるのも、彼がジャズのサックス吹きだから。インプロビゼーションって、そういうことじゃないか!  今回、図らずも大いに盛り上がったのは、50年代文化と80年代文化好みの「ゴッパチ」と70年代文化と90年代文化志向の「ナナキュウ」について。前者がサンダーバード、ガソリンスーパーノヴァならば、後者はプリウス。前者がピッチーニのハイヒールならば、後者はピルケンシュトック。人工美対自然。

 もちろん、私も菊地さんもバリバリ前者。私の血中には中学の時、シビレまくったフィフティーズが色濃くあるのですが、彼もそのクチとは今の今までシラなんだー。終わってから楽屋で、「絶対、フィフティーズのパーティーやろうぜ」と盛り上がった次第。これ、ホントに企画しようっと!

 こういうのは自然と親の教育と文化環境が出るもので、ウチの親も菊地さんの親も昭和一ケタで、戦後の焼け野原でアメリカ文化へのスウィートかつアン ビバレンツな想いを感じながら、青春を過ごした両親という共通点があるのです。ジャズの響き、そして、高度成長期に初めて、「夜遊び」が都市の特権 として発生したわけですから、そのへんがあいまって、子供のアタシたちを真綿のように洗脳していったというか・・・・。

 あと、トークショーで言いそびれたのですが、ゴッパチ嗜好の人たちは、「子供的」でもあります。私は小学校の時、今でもつきあいのある遊び友達がい るのですが、彼女と誓い合った「小出しにして、一生、遊びたい」という言葉をこんなに真剣に実践するとは思いませんでした。ネオテニー=幼年形成、という言葉が全くふさわしい、未成熟ぶりです。「昔はお母さんも遊んでたのよォ」 という物言いに対しての反抗でもあったわけですが、そういう、ツッパリの美学に似た考え方はホント、大嫌いなの。ツッパリ文化は大好きなんですけれどね。

 ペペ・トルメント・アスカラールの「記憶喪失学」は、新生ペペの力強くも分裂気味の大変に美しいアルバムです。ちょっとバルトーク入っていて、かつ、ロシア的な重層感もあり、なんだか、土っぽい洗練がたまらないわけです。

 南米の大地とロシアの大地が串刺しにつながる、菊地流の地政学。これ、香水にたとえると、まさにアルチザン・パフュームの名作「トゥンブクトゥ」なのね。トンブクトゥはアフリカの都市なので、あらら、大陸つながりはそこまでいっちゃった。これ、今度、ホントに彼にプレゼントしようっと!  <キャプション>  「記憶喪失学」の二曲目、「メウ・アミーゴ・トム・ジョビン」からインスパイヤされた本日のファッション。サーカスの太った玉乗りの女のイメージです。

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