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三月の活動記録 その1〜新井薬師、京都の桜、「TAO老師」、バンドNORCASOLCA

 そういうわけで、また、ブログ再開です。  どういうわけ? というのは、スギ花粉がとうとう収まったから、という身体の理由にしておきましょう。そう、それほど今回の花粉症は非道かった。来年は本当にレーザーで鼻の奥を焼き症状を押さえる、という荒療治に手を出すしかないのか・・・・・。  5月の連休とは、一年の最初のすす払いの時期とみたり! そして、昨日美容院に行って、久々に髪をショートにしたこともあり、個人的に新装開店ですな。しかしコレに懲りて、近々、モバイルPCを絶対買うつもり。スキマ時間にやんないと、これ、大変なことになることが判明。

 では、失われた二ヶ月のメモリー


●3月1日 新井薬師に着物ショッピングにゴー

 ハーパスバザー編集長(当時)の村田啓子さんと吉村涼子さんとともに、新井薬師恒例の骨董市へ行きました。着物道楽は染めから織りに行くといいますが、本当に自分がいまそうになっているのがおもしろい。業者も買いに来る、という知られざる、着物ファンのメッカです。

 成果は上々で結城を2枚ゲット。加えて、別の店にて、目にとまった菊の小皿。ちょっと、アールヌーボ入っている、たまらんこのセットを一万円にて購入。「迷ったら即買い」は、すべての海外旅行買い物フリークの合い言葉ですが、久々にそれが発動しました。東京のクリニャンクール、新井薬師は凄い。


●3月5日 ヤッコさんと表参道ヒルズ

 表参道ヒルズのアニバーサリー。「トラットリア アンド ピッツェリア ザザ」にて、会食。ちょっと遅れていったら、予約のテーブルには高橋靖子さんことヤッコさんの姿が! ご存じ日本におけるスタイリストの草分けかつ近過去の東京の生きた歴史書として燦然と輝く「表参道のヤッコさん」の著者のその日の姿は、とってもカッコイイ不良っぽ~い、スカジャンでした。

 これ、コムデギャルソン謹製。そういえば、ヤッコさんもショートヘア定番。この年代のおしゃれなショートは清冽なセクシーさがありますね。ショートは実はもの凄く色気が出てしまうヘアでもあり、一昨日、ショートにした40代のアタシのそれはちょっと生々しいなと、書きながら今、ここで思った次第。

●3月7日 「TAO老子」に感じる、逆療法としてのシャバ、とか。

 長野県南部・伊那谷に魅せられて移り住み、老子の言葉とタオの思想に取り組んできた、英米文学者・詩人の加島祥造のドキュメンタリー映像誌を金井みはるちゃんのお誘いで、立教大学の新座キャンパスまで観に行きました。

 圧倒的な自然と人の生きる道とのカップリングは最大説得力で心にガンガン染み渡ったのですが、実のところ、一番グッときたのが、ラストにそのカメラが一挙に東京の高層ビル街の間を空撮していくシーン。人間の業(ごう)の集大成である都市のガラスとコンクリートの景観という伊那谷の対極にあるものが、なぜか、もの凄く美しいありようを示してしまうことの皮肉な結果です。

 私も長期入院のベッドから、抜け出してパジャマで六本木夜ドライブに出たことがあるんですが、そこで感じたことは、果たして「街が発するもの凄いエネルギー」だったことを思い出しました。友人の至言に「海とネオンがないと生きられない」というのがありますが、それはかなりの意味で本当だ。シャバの空気って言うのは、それはそれで、やっぱり、尊くて愛しいものなんですよねぇ。 


●3月16日「フリソデお嬢」にて京都出張

 京都を中心とした呉服メーカーが10社集まって、このたび、振袖の専門店を合同主催。その名も「フリソデお嬢」。私はその企画及びブランディング、コミュニケーションなどを依頼されていて、この日はお歴々を前にしてのプレゼン。

 現在、晴れ着としてだけ残っている振袖は、これはある意味、私たち日本人の女が遊べる女装のひとつの完成型です。そう、二十歳の成人式とは、女の子にとって、青春の最も女っぷりが花開く最初のテビュッタントなのです。というわけで、女装女論者である私としては、結構、力の入る仕事といってもいいでしょう。

 親睦会の後、いつものように祇園に飲みに行ったのですが、初めて丸山公園の伝説の桜を観ました。桜守がいるとしうこの木はもはや、妖怪変化のようなヤバいオーラを夜空に放っていました。満開の桜は、生命のほとばしりの象徴ですが、ある意味ちょっと下品なところがある。ちょっと、ファンシーグッズの専門店に入っちゃった感じというか。キティーの大群をディスプレイしたくなる、パステルカラーの大群ではあります。

●3月20日 バンド結成しました! それでもってル・バロンでお披露目。

 飲み屋の与太話が本当になり、バンド結成しました(笑)。

 面子はちょっと凄いよ! ボーカルがこのバンドの言い出しっぺ、ということは実質バンマスである、ポールダンサー界のリヴ・タイラーこと(デビュー当時のモリー・リングウォルドにも似ているね)ノエミ、ギターにバンコクが産んだ奇跡の才能、モモコモーションのMOMOKO、そして、ベースにななんと野宮真貴という陣容。

 で、私のパートはドラム。そう、実は私、高校、大学とかなりマジでバンドをやっていたのでした。学習院の時のバンドは、ヤマハのイーストウェストなどにも出ていまして、16ビート系のアーバンコンテンポラリーな小難しいコトをやっていたりしたんですよ。スティーブ・ガッド、レオン・チャンクラー命、ってやつ。と、まあ、ほとんど二十年以上ぶりにスティックを握ったのですが、最初はだいじょうぶかっというほど、ヤバかった。

 しかし、だんだんと脳の中の昔の配線が繋がっていく感じがあって、練習ごとにリハビリしていくのが分かる。あれだね。数年前に再開したスキーと全く同じ。しかし、年齢とともに耳が肥えているのは事実で、アタマと技のギャップに悩まされましたね。すべてのオヤジバンドの方々の前にはそういう壁が立ちはだかると思うんだが・・・・・。

 本番前二週間に三回の練習は朝九時から午後一時までという強行スケジュール。京都出張帰りから直行したこともあったもんね。加えて、私なんか日曜日、自主連でスタジオ、入っちゃいましたもん。レパートリーはもちろんガールグループのマスト曲ランナウェイズの「チェリーボム」とキンクスの「ユーリアリーガッドミー」。

 フランスの下着メーカーのパーティーだったので、衣装はすべてそこの製品。ワタシのサイズがあったというのもさすがアムールの国フランスですが、ロールのオカズを派手にぶちかますとき、観客の視線が胸に集まっているのが笑えましたな。悩殺爆弾チェリーボム、ってことですかね。

 今後、一ヶ月に一曲ずつレパートリーを増やす所存。フーとかを女バンドでやってもカッコイイかも。しかし、私にキース・ムーンを叩けというのは、植村直巳よりも冒険家な行為のひとつではあります。ちなみにバンド名はNORUKASORCA。のるかそるか、というバンマスの心境を表したのだと思いますが、字面にすると北欧のヘビメタバンドみたいでまあ、いいかな、と。

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