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2011年、ハッピーニューイヤー、新月の誓い


 2011年、あけまして、おめでとうございます。


 ウチの悪猫、ホウちゃんとモスクワの骨董屋で購入した、ちょっとダイアン・アーバス入った、ウサギ仮面で松の内の最後を言祝いでおります。

 旧年中の2010年は、自分の中では、意識的にちょっと今までとは違う意識が出てきた年でした。まあ、共著の『ビジネスの成功はデザインだ!』と『四十路越え!』の二冊書き下ろしを山として、相変わらず継続中の美人寿司は、なんと、ノルウェーのSKIDIとベルリンのジョニー・ラ・マラマというワールドミュージック&ジャズの俊才たちとコラボすることができて、その動きは自分の中の”自家薬籠”を徹底していく、という意識。何よりも、「やっと、自分が本当にやりたいことが分かった」という気持ちが固まった一年だったのです。

 今更、それかよ! って、ちょっとびっくりでしょ? だって、私、去年アラフィフど真ん中(まだ、隠すのか)で、織田信長がかつて「下天の内に比った」年ですぜ。それに今までの経緯は「やりたいことばかりやってきたじゃん」のようにも見える。しかし、去年のツカミはもうちょっと違って、やりたい、に、やるべきが加わった、ちょっと社会にコミットした意識というものです。そう、アンガージュマン(社会参加)という気持ちが強烈に出てきたのです。

 誤解されないように言っておきますが、私はそのあたりの標榜が大の苦手で、どう見ても、自分の欲望にもキチンと向き合えていない人間が、〜のために、という、「世の中にイイ事」に単純に傾倒する様子を嫌うこと、小学校高学年以来100万年の歴史があるわけです。しかし、その上でこういった境地が自分に訪れたのは、やはり自分の年齢ということに大いに関係がある。

 月並みですが、今まで好奇心と欲望のままに自分にインプットし、蓄積してきた知識と知恵を社会に還元すべきだという、伝統的な大人、そして、長老の考え方ですね。そのあたりは、非常に年相応のオーソドックスな分別だと思っています。

 ちょっと時代的なものもあるかもしれないですね。ツイッターを中心として、コミュニケーションのコール&レスポンスが直接的に行われると、自分が書いたもの、やったことの反応が非常にダイレクトになります。ツイッターが突如として自分の日常に現れて一年ちょっとになりますが、自分が表現したことの反応がこれほどガチンコでコチラに届く、その双方向性は少なからず、自分の"やること"に影響せざるを得ない。

 これまでの自分の仕事としては、雑誌やイベント、時と場合によっては広告系のコミュニケーションなどの間接話法に大きく時間を割いていましたが、自分をして、それと直接話法のどちらが人に”届く”のか、と考えた場合、実にいろいろと回答が出てきます。それを実現するも、しないのも、自分次第、というわけですが、なるたけその辺を、ハローバイバイ関の都市伝説にしないように、じっくり取り組んでいきたいですね。

 今年は人生後半戦の土台として、真面目にいろいろなことを形にしていきたいなり。などど、プチ・ロマネコンティーであるドメーヌ・ロベール・アルヌー・ヴォーヌ・ロマネ2007の新年会で残ったヤツを、コップ酒をしながら思ったのでした。

 明日のブログは、1月3日の「フグ釣りレポート」です。お楽しみに!

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