ホントに久々のブログ書きです。
書くこと無かったって? な、わけはない。逆にいつものアレですよ。まとめて書こうと思うと、日々のネタが多すぎて大作になっちゃうといういつものジレンマです。ほんとにねえ。しょこたんクラスならば、猫写真に「猫カワイ---」で芸として成立するのですが、なかなかそうもいかないわけでして
ところが・・・・・。
いやー。ツイッター、とうとう始めちゃったんですよ。ブログ書かないけど、ツイッターではつぶやっいていたというわけだ。ツイッター、もちろん、その存在は知っていたのですが、完全にタカをくくってました。同時期に別ジャンル(音楽系、ビジネス系)の男子からその効能と「いろんなとこに出没していて、ブログに腰が重いアナタこそ、やるべきだ」と諄々と説教され、やってみたら、あーた、本当にその通りだった。
主に移動中と寝る前と仕事前のつぶやきで、ちゃんとつぶやくようになってから、まだ、一ヶ月経っていないんだけど、タイムラインを見ると、ちゃんと日記になっているんですよ、これが。
ちなみに、本日までの空白の時間を記してみますと、11月25日は従兄弟の結婚式で九段会館に行き、式の間、暇だったのか毒舌ファッションチェックやボースのスピーカーから出る気の狂った音量につぶやいておりますな。
そして、
「父、湯山昭のピアノ曲集、音の星座、の出版とCDリリースならびに喜寿をお祝いする会@ホテルオークラ、に、出席中。 10:13 PM Nov 28th Echofon」の時分は、
「何故に、ベートーベンのロマンス? 自作のバイオリンソナタやればいいのに」
「あっ、やっばやるんだ!第二楽章は私の子守り歌であり、通奏低音 」
「つくづく、既作、お菓子の世界、が、凄い名作だと得心」
「音の噴水、は、ショパンとジャジーの融合なり。ゆかいなピエロ、は、トリッキーラヴェル。きいていると、やっぱ湯山節集大成なり」
などと実況ライブでつぶやいております。
加えて、12月は世界が誇るマエストロ、ワレリー・ギルギエフをバレエも含め三連発、足を運んでおりまして、これ、相当感動したらしく(らしく、って自分だけれど)
「シュスタコービッチ10番。もう、とんでもないことがおこっていた。松坂牛100枚食った感じ。2:47 AM Dec 1st Echofon」
翌日は。
「体調悪し。ゲルギエフの「悲愴」CD、三楽章の三連叩き込みで無理矢理アゲて、仕事している。でも、風呂欲求が、もうすぐ・・・・・」「 連チャンでギルギエフ。シュスタコービッチ交響曲二発。プロ変更のピアノ協奏曲がど迫力。デニス,マツーエフpはどっちゃん坊やだな。 1:30 AM Dec 1st Echofon
などと、しめくくっております。
マイリンスキー・バレエ(ギルギエフ+マイリンスキー歌劇場管弦楽団)の「イワンと子馬」は、
「マイリンスキーPlusギルギエフ、今終了。世の中の幸福なもの全てが舞台から津波の様に押し寄せて来たロシア、民度高すぎ。 2:57 AM Dec 8th Echofonときて、
「その舞台はロシアアヴァンギャルド炸裂。衣装はコムデギャルソンかズッカかという可愛さだ。一言で言えばしりあがり寿が全編にあふれ感?! それにマイリンスキーバレエの技とギルギエフのエモーションが加わり大団円でござった」
それだけじゃ、モノ足らなかったらしく
「『イワンと仔馬』は、燃えるパリ・コミューン前夜にペテルブルクで演出振付けされたバレエ。今年の3月に、天才振付家ラトマンスキーの手によって改訂版がマリインスキー歌劇場で上演され大喝采、それを旬のままに持って来たのが今夜なのだ」
といううんちくや、
「せむしの小馬」の作曲家はシチェドリン。もの凄く色彩的で華やかで豊かなオーケストレーションをギルギエフはエモーショナルにバレエを支えていましたね。ロストロポーヴィチも好きだったらしい」
. と、相当、コーフンしています。
ミクシィの時は割とアーリーアダプターで、その「面白さ」はミクシーをやったことの無い人でも、比較的想像させることが容易いものでした。「コミュニティーがその人のセンスと人となりを表す」というのは、本棚を見ればそいつがわかる、という昔からのセオリーの移し替えだったし、オフ会と掲示板という付属して出てきた行動もわかりやすかった。
しかし、ツイッターはその面白さが理屈では到底わからないのです。ツイッターというストリームに自分が参加し、ゆだねてみることで、それを段階的に理解していくしかない。理解というか、自分のリテラシーを造らなければならない、という面倒なところがある。
私の専門で言えば、よりクラブ的なコミュニケーション空間であるとも言えます。そのタイムラインのフォーラムは、たとえば、24時間やっているパーティーのようなもので、人は出たり入ったり、いろんな小部屋を訪れて音、ならず、つぶやきと戯れて、また出て行くというもの。
もちろん出て行ったまんまでもいいが、これ、クラブ通いが人生の習慣になるように、確実に人生の一部を浸食いたします。
最近、体得した感覚は、バーッとタイムラインをスクロールして、使われている単語が感覚や求めているものに合う人をフォローすること。もちろん、友人や知り合いもいますが、映画で言うとグランドホテル形式っぽく、今ここにいる世界の言葉の編集が刻々となされている、という不思議な快感があるのです。
とはいえ、これでバレちゃったことも多く、ビジネス書の書き手や愛好家たちの何人かは、ちょっと考えられないようなセンスの悪さを臆面も無く出してきますね。
これまでパブリックイメージや著作では好意的に見ていた或る人物がいるのですが、その人の頻繁なつぶやきに自ずと立ちあらわれる「生活に全く個人的な嗜好が見えてこない」「ユーモアとセンスの壊滅的な欠如」「はしゃぎっぷり」に他人事ながら、大丈夫か? と思ったりして。
対して、元レオンの岸田一郎氏は、けっしてバブリーで軽々しい、という世間が思いがちなイメージを裏切る、なんだか、都筑道夫を彷彿させるライトで知的なつぶやき群でありまして、今、最もお気に入りかも。
来週、日藝の授業にて、学生たちとこのあたりの話をしてみようかな。
水道橋博士もブログとツイッターの両立に悩んでいるらしいが、ホントに今後、どうしませう。
とはいえ、ツイッターはやっていると思いますので、よろしかったらフォローして下さいまし。
@yuyamareikoで出ています。
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